環境ISOとの闘い-無茶振り編
*今回も環境ISOの話
前回、環境ISOのお話を書きました。
今回は、無茶振りされた自分の話を(身バレしない程度に)しましょう。
というより、聞け。
*そもそもは3月の終わりだった
社長から呼び出されたのは3月下旬でした。
2月までは激烈に忙しく、それまで完全にストップしていた
IT系の作業をコツコツとこなしていた時です。
「環境ISOやってもらうから」
最初は内部監査員のことだと思っていました。
自分は前の会社で品質ISOとセキュリティISOの
内部監査員をやっていたので、てっきり
内部監査員を増やすんだと思ったのです。
「いやいや、事務局だよ」
ISOで事務局というのは、
ISOのマネジメントシステムの運用を管理する、
主管とか幹事みたいなものだと思ってください。
まあ、これを大抜擢だと思う人はいないでしょう。
*中小企業の環境ISOなんて、体面だけ
話はそれますが、品質ISOならともかく、
中小企業にとって、環境ISOは直接的なメリットは少ないです。
あるとしたら、前の記事でも書いたとおり
「今時は持っていることが当たり前になっているから」
くらいでしょうか?
(この書き方じゃメリットにはなりませんね(笑))
むしろ
「維持管理に時間と金がかかる」
「文書を管理するのが手間」
「社員への教育が大変」
などのデメリットの方が圧倒的です。
大企業なら、専門の部署もあるでしょうが、
中小企業では完全に他の作業と掛け持ちです。
基本、やってられません。
*見せられスケジュールを見て絶句
話を戻します。
基本、中小企業では任された仕事に拒否権はありません(笑)。
やれやれと思いつつ、詳細を聞くと、
出てきたのはスケジュール表。
えーと、作業開始が2月の頭で、審査が8月?
え?
え?
あと5カ月しかない?
環境ISOやったことないのに?
*更なる追い打ち
おまけに、今年は2004年版から 2015年版への
移行だと聞かされます。
つまり、
環境ISO未経験の人間が
最初の2カ月を何もしていない状態で
規格の更新作業を行えってか!?
無理っしょ?
いや、絶対無理だって。
*闘いは続く
色々と絶望的なお話ですが、
唯一の希望は、2018年6月が最終審査なので、
今年失敗してももう一回チャンスはある
という点でしょうか?
(あんまり慰めになっていない気もしますが)
ではでは。
環境ISOとの闘い
*環境ISOって何?
正確には、国際標準化機構 (ISO)が発行する
環境マネジメントシステムの国際規格で、
ISO 14000という番号が割り振られています。
「環境マネジメントシステム」とは、
組織が決めた目的に取り組むための仕組み(システム)で、
環境マネジメントシステムの場合は、
「環境保全」とか、「環境破壊の防止が目的」となっています。
(若干不正確な表現ですが)
*環境マネジメントシステムとやらを作ってどうするの?
審査機関で環境ISO取得の審査を受けて、
「この会社は環境ISOを構築した」
ということを正式に認めてもらいます。
環境ISOは審査登録制です。
自社で環境マネジメントシステムを構築
(環境に対する組織的な取り組みを、規格に従って作った)
して審査に合格したら、晴れて
「我が社は環境ISOを持ってますよー!」
と宣言できます。
*何でそんなの取りたがるの?
環境に対する関心の盛り上がりから、
企業イメージや信頼性の向上のために
取ることが多いようです。
もうちょっとぶっちゃけると、
世間が環境問題にうるさいので、
『うちの会社は環境問題に取り組んでますぜ』
というアピールのためです。
(ぶっちゃけ過ぎ)
役所も、世論がうるさいので、環境問題に神経質になっています。
そうなると、環境ISOを持っている企業の方を有利に扱うことになります
(と言われてますが…)
*今、何が起きている?
規格改訂が行われて、新規格(2015年版)への
移行が進んでいます。
こういうISO規格は、時代の流れに合わせて
何年か毎に規格の更新が行われます。
現在の規格は「2004年版」で、2004年に行われた規格改定版です。
しかし、2015年に最新の改訂がされたので、
順次「2015年版」に移行しなくてはいけません。
なぜなら、改訂から3年の猶予期間(2018年まで)に
新しい版に移行しないと、
環境ISOの認証が取り消されてしまうからです。
そのため、環境ISOを持っている企業は、
どこも移行の作業にかかっています。
*まだ2017年だから余裕っしょ?
とんでもない!
2018年までと言っても、実際には6月が最終の移行審査となるので
実質的には1年ちょっとしかありません。
しかも、最終審査で失敗すると、
環境ISOの認証が取り消しになります。
そうなると、最終審査で2015年版に移行するのはリスクが高いので、
できれば2017年中に更新したいのです。
しかも、今回は11年ぶりの改訂で、
場合によってはたくさんの書類を更新する必要があるため、
準備には半年は必要です。
大手企業でも、どこもてんてこ舞いでしょう。
*で、何でこんな話題をブログにあげてるの?
お察しの通り、会社で環境ISOの担当に選ばれました…。
ここ最近は、毎日参考書と首っぴきで環境ISOの勉強をしています。
ではでは。
あなたは前に進めるか?
*GTDで陥りがちな罠
それは、
「『やること』に登録したことが終わらせられないこと」
です。
こちらの記事では、頭の中に渦巻くものを全て外に出すことに
ついて書きました。
GTDではその後に「頭の外へ出したもの」を分類し、
整理する作業を行って、最終的に「今やるべきこと」を
リストアップしていきます。
そうやって厳選した「やること」なわけですから、
重要度や緊急度(あるいはその両方)が高いはずなのですが、
意外とこれが終わらせられないこと多いのです。
*終わらない理由は2つに分けられる
「やること」が終わらない理由は、
自分のモチベーションを観点にすると2つに分かれます。
*モチベーションがあるとき
1つめは「モチベーションがあるけれど終わらない場合」。
例えば、
「何かの手続きをしようとしたのだけれど、
そのための用紙が手元に届くのが1週間待たなくてはいけなくて
手続きができない」
という他責の場合です。
上の例の場合、自分は、こういう作業は一旦
Evernoteの「応答待ち」に移動させ、
リマインダーをセットして用紙が来る予定の日に
通知が出るようにしています。
*出来る内容に噛み砕く
他にも
・「やること」の内容が抽象的だったとき
→ もっと内容を具体的にして「やること」に再登録
・「やること」の作業内容が大きすぎた
→ 内容を細分化して、複数の「やること」に分割して登録
ということをしています。
例えば
「GWの旅行の準備をする」
という「やること」は、作業の内容が大きすぎて
何から手を付ければよいのか迷ってしまいます。
そこで、この内容を
「計画を立てる」
(例:予算、行き先、行くメンバー)
「計画した内容に必要な物を揃える」
(例:チケット、旅行バック)
と分割して、その上で具体的な行動(例:「ガイドブックを見る」)に
噛み砕いていきます。
大きな作業内容でも、このように具体化・細分化していけば
自分がとる行動が見えてきますので、実はそんなに困りません。
*モチベーションがないとき
困るのは、モチベーションがないときです。
誰にでもあると思いますが、やらなくてはいけないのに
やる気が起きないことがあります。
実は、先述した具体化・細分化を行うと、
大体の作業は「ちょっとした作業」にまで
落とし込むことが出来るので、
モチベーションがわかない作業にも有効なんです。
*ほんの一歩前に進むことができない
双極性障害のやっかいなところは、
躁状態で「やること」に登録したことが、
鬱状態に入ると中々出来なくなります。
まず『具体化・細分化』ができなくなるのです。
そうなると、作業に集中するために作った
「やること」のリストが、一転して「出来ない」リストに
変身して
「こんなことも出来ない自分はダメなやつだ…」
と自責状態に陥ってしまいます。
*自責のループを断ち切る
何でも解決する魔法のソリューションは存在しません。
GTDで言うなら『具体化・細分化』を愚直に行うしかないのです。
それこそ「顔を洗う」「服をたたむ」レベルにまで
作業を細分化して、それを1つ1つクリアし、
少しづつでも自分に自信を付けるしかありません。
*そもそもこの記事を書いた動機
長いことやろうとして出来なかった、
がやっと一歩(本当に小さな一歩ですが)踏み出せたので、
その記念に書いてみました。
その一歩は、
「格安SIMの提供会社に問い合わせのメールを送る」
です。
バカバカしいと思われるかもしれませんが、
この一歩を踏み出すために、
3ヶ月間「やること」リストに載りっぱなしだった
に苦しめられてきたのです。
そういう意味では、この記事は自分に対する激励なのかもしれません。
ではでは。
鬱状態での追い打ち
*抵抗力が落ちている?
春先で気温の変化が大きいためか、
昨日は体調を崩して、会社を休んでしまいました。
とは言っても、インフルエンザのように
『誰が見ても絶対に会社に行けない、むしろ行っちゃダメ』
という状態までにはなっていないのが困ったところです。
多分、普通の状態だったら会社に行っていたのですが、
ここ数日微妙に鬱状態に入っていて、
健康だったとしても、「仕事スイッチ」が入るかどうか、
微妙なところでした。
*弱った時の追い打ちは、つらい
誰でも、精神的に弱っているときは
安易な方向に流れたくなります。
精神的に充実しているときは、
多少の病気や怪我は気力でねじ伏せられるでしょうが、
心が弱っていると、それもなかなか難しい。
*慣れたけど、慣れない
これまでもたびたび同じようなことがありました。
いい加減慣れたと思っていましたが、
やはり、休んでいるときの罪悪感は消えません。
『仕方がなかった』
と思う自分がいながら、
『本当は会社に行けたんじゃないのか?』
と責める、もう一人の自分がいます。
他の双極性障害の人も同じような思いを
しているんでしょうか?
ではでは。
アクシデントを楽しめるか?
*どんなときにもアクシデントは起こる
仕事でも私生活でも、何事にもアクシデントは付き物です。
起きて欲しくはないのですが、起きて欲しくない時に得てして起きがちです。
会社ではIT管理者をやっていますが、
思ってもみないタイミングでサーバーが停まった時は
心臓がバクバクなるのを感じながら復旧作業を行っています。
何せ、会社の業務の半分が停まるんで、影響が半端ないからです。
*アクシデントに発奮する人、委縮する人
「人の本性は、困った時に現れる」
といいますが、
自分の経験では、アクシデントに直面すると
発奮する人と委縮する人に分かれます。
発奮する人は、それこそお神輿を担ぐかのように
あちこちに声をかけて協力を依頼し、
起きた問題の解決策を喧々諤々と議論し、
それこそ、起きたアクシデントを踏みつぶす勢いで
解決を進めて行きます。
傍目にはアクシデントを楽しんでいるようにすら見えます。
(実際は違うとは思いますが)
逆に委縮する人は、起きてしまったアクシデントの重大さに
自分を責め、自分の能力に対する自信を失くし、
ただひたすら今目の前の問題が早く立ち去らないか、
祈るような気持ちで対応していきます。
*自分はどちらかと言うと後者
実は、今日会社で色々とアクシデントが起きました。
どれも大きな問題にはならずに解決出来たのですが、
そのときの胃に穴が空きそうな気分を思い出すと、
自分は委縮しちゃう方の人間なんだな、と思います。
*委縮するのは悪い事じゃない
では、委縮するが悪いことかと言えば、
そうとも限りません。
問題が起きるときの胃の痛さを知っていれば、
問題発生の防止に知恵を使うようになりますし、
起きたときへの備えも考えるようになります。
問題をうまく解決する能力も重要ですが、
損害の期待値を考えると
「問題を起こさないようにする」
「起きても被害を最小限に止める」
と先手を打つことが重要だと思います。
と、今日のアクシデントに対応した自分を慰めています。
ではでは。