自分がiPhoneを買わないわけ
*iPhone8とiPhoneX
『どうしてiPhone9は飛ばしたんだろう?』
と、Windows10のときと同じ感想を抱いたのは自分だけでしょうか?
それはそれとして、自分はAndroid使いです。
今のところiPhoneに乗り換える気はありませんが、
職場の人はiPhoneの人が多いで、何だか肩身が狭いです。
*乗り替える気はない
使い勝手がいいというのは良く聞くので、正直興味はあります。
実際、知り合いのもっているiPadは快適な動作でした。
JavaベースのAndroidよりも、Objectibe-C(今はSWIFTでしたっけ?)で
開発されているiPhoneのアプリの方がサクサク動くという話を
聞いたことがありますが、実際どうなんでしょうかね?
でも、今のところは乗り替える気はありません。
*過去の遺産
既にスマホを使い始めて10年近く経ちますが、
その間に使いこんだアプリのデータを考えると、
例えば、家計簿アプリやスケジュール表のデータは
同じソフトで移行が可能でないと思いきりがつきません。
「CSVデータにして移動できるじゃん」
という人もいるでしょうが、正直面倒くさい。
その作業がそれだけの価値があるのかと言うと、
自分にしてみると、「ない」という結論なのが
現在の状況です。
ではでは。
「有意義な休日」ってどんなんだろう?
*未だにわからない有意義な休日の過ごし方
しばらくサボっていたこのブログを再開するときの
心境を記事にしたことがあります。
このときの再開した理由の1つに
「有意義で満足感のある休日を過ごせていないから」
を挙げていました。
では、有意義な休日って何でしょうか?
#先に断って置きますが、まだ解答を見つけていません。
*有意義な休日を送っていそうな人
いわゆる、「リア充」な人たちでしょうか?
友達と一緒にいろいろな楽しそうなところへ出掛け、
おいしい物を食べ、それをSNSにアップして多数の人から
「いいね」を貰う。
なんか有意義な気がしますね。
*リア充の真似はできない
自分はインドア派で出歩くのは苦手です。
人見知りする性質なので、人混みが苦手なのと
疲れるとすぐに体調を崩して鬱気味になるからです。
あと、人見知りするので友人も少ないです。
おいしいものにもあまり興味が湧きません。
SNS? 自分のはしゃいでる姿を見せるなんて恥ずかしいです。
…と言う感じで、リア充とは程遠い生活です。
自分で書いてて鬱になってきました。
*何か行動をすれば有意義なのか?
上のリア充の生活は完全に自分の偏見ですが、
何か積極的な行動を行えば、何となく有意義な時間を送れている気がします。
少なくとも、
『ネットサーフィンに明け暮れて、
気がつくと夜になっていた』
というのに比べれば、よっぽど価値がある時間の過ごし方のように感じます。
実際のところどうなんんでしょうか?
*価値を決めるのは自分自身
自分の行動の価値判断は、自分自身にしかできません。
例えば、道端に落ちている石を収集するのが趣味の人は、
傍から見ると
「石っころ何か拾って何が面白いんだ?」
とバカにされるかもしれません。
しかし、その人は自分の人生の中で最高の石を見つけて
誰も味わったことのない幸せを感じているかもしれません。
そのときに有意義な時間を過ごしているのは、
石を収集している人でしょうか?
それとも横でバカにしている人でしょうか?
ここまで書いて気が付きました。
自分が有意義な時間を過ごせていないと感じるのは、
自分の行動に対する判断基準を外に置いているからですね。
それがブレているから、自分の休日の行動が
有意義なのかどうかを悩んでしまうのだと。
まずは、自分がどうありたいのかを見つめ直したいと思います。
ではでは。
久しぶりに読んだ「六三四の剣」
*剣道マンガと言えば?
小学生の頃剣道をやっていたので、剣道マンガは良く読みます。
剣道は、それなりに競技人口が多いので、
題材としても取り上げやすいのか、野球やサッカーほどではありませんが、
いろいろな作品があります。
そんな中で、自分の世代で剣道マンガというと、やはり
「六三四の剣」ですね。
実は、連載中は小学生だったのですがサンデーを読んでおらず、
高校生になってから初めて読みました。
なので、厳密にはリアルタイムに読んでいたわけではないのですが、
剣道マンガと言えば、これを挙げます。
*熱い主人公
あらすじとしては、
「誕生日が6月3日の午後4時 なので六三四と名付けられた六三四が、
剣道の実力者の両親や友人たちに影響されて、剣道家として成長していく」
という内容ですが、
いわゆる「熱血スポーツもの」として、主人公の六三四はひたすら
剣道を楽しみながら修業に明け暮れて行きます。
この六三四がひたすら熱い。
強い奴に会うとワクワクし、
死にそうな稽古でも「まだまだ!」と負けん気を見せ、
窮地に陥っても「ニヤリ」と笑って不敵な闘志を見せます。
あ、何かドラゴンボールの悟空みたいですね。
*腕白な小学生編
小学生編は、負けん気の強いわんぱくな六三四が、
ライバルとなる東堂修羅と競い合っていきます。
衝撃的だったのは、六三四のお父さんが全日本剣道大会で
二連覇したときの話ですね。
(一応ネタばれはしません)
初めて読んだ時は愕然としましたが、
ここでの出来事が、のちのちの六三四の行動に大きな影響を及ぼします。
この年になって読んでみてみると、
六三四がわんぱく過ぎて、自分が六三四の親だったら
胃が痛くなるだろうなぁ、と心配してしまいました。
*ライバルが熱い高校生編
高校生編の六三四は、とてもさわやか青年になっています。
しかし、燃える闘志は変わらず、高校生にも関わらず
山にこもって修行までしています。
高校生編では、修羅以外のライバルたちもクローズアップして
特に陽キャラの六三四の対極の、二刀流の乾がいいキャラです。
勝つためには何でもやるけれども、剣にかける執念は本物で、
心の中に闇を抱えながら、その執念が彼をギリギリで
正常な領域に置いています。
六三四は、そんな彼に大きな影響を受けながら、
それでも確固たる自分の剣を確率していきました。
単に勝負を競い合うだけでなく、人間的な成長にまで踏み込ませた
ライバルですね。
ではでは。
当たり前に潜む凄いノウハウ
*キーボードは指が覚えている
先日、部長の席を通りかったら
「キーボードで『_(アンダーバー)』って、どうやって打つんだっけ?」
と聞かれました。
割とよく使うキーなので、『あー!あれ』と
すぐに説明しようとしたのですが、
言葉にしようとして詰まってしまいました。
『アンダーバーのキーって
キーボードのどのあたりにあったっけ?』
急いで自分の席に戻って、キーボードでアンダーバーを打つと、
無意識のうちにシフトキーを押しながら該当するキーを打っていました。
結局部長へはすぐに説明出来たのですが、
自分でよく使っているキーの位置を、
とっさに説明できなかったのが印象的でした。
*当たり前になっているものは説明できない
このような習慣化した動き、無意識に行う体の動作というものは
言語が出来ません。
言語化する前に、勝手に体が動くように体に染みついているから、
わざわざ言語化しないからでしょう。
*当たり前と思っていることを説明することの凄さ
実は、会社の出荷担当の人と雑談をしていたときに
「最近の製造部は、入り数ミスが多いんだよね」
という話をしていました。
入り数ミスとは、例えば100個詰めの箱に製品を99個しか詰めなかった、
あるいは101個も詰め込んでしまったというように、
箱に製品を詰める数が決まっているのに、それが守られていないミスです。
それで、出荷担当の人が
「自分が製造部にいた時なんて、
箱と仕切りを必要数揃えてから作業するのが当たり前で、
入り数ミスをしても箱か仕切り板が足らなくなったりして
すぐにわかるようになってから、簡単に入り数ミスなんておこらなかったのにね」
と笑ってたのですが、そこで自分は衝撃を受けました。
『その当たり前、自分は知らないです…』
そんな簡単な方法で、入り数ミスを防止できるとは…。
コストもかからないし、やり方も単純で、
100%とは言えませんが、それなりに効果が出そうな方法です。
こういうノウハウは、いわゆる『暗黙知』と呼ばれます。
知っている人には当たり前のことなんだけれども
明文化されていないので、知る人ぞ知る知識です。
当人にとっては『当たり前』で説明するまでもないと判断していることが、
他の人が求めてやまないノウハウが隠れているかもしれません。
ではでは。