セルフアップデート

双極性障害でIT企業をリタイアした中年が、製造業で再チャレンジします

「社内導入案件」は玉石混合だった

Evernoteに放り込んだアイデア

 以前「Evernoteを使ってGTDをやってます」 という記事を書きました。 

denbedon.hatenablog.com

  

denbedon.hatenablog.com

 

この記事では詳細は説明しませんが、3行で説明すると

「頭の中にあるものを全て外に出し、

 その内容を分類して、

 今やらなくてはいけないものだけを考える」

という仕事や生活の進め方です。

 

そうやって頭の中から外に出したものには、

いろいろなアイデアや思いつきがあります。

 

*とりあえず放り込んでおく

イデアの8~9割くらいは 愚にもつかない内容のものが多いのです。

実際のところ、アイデアの質を上げるのはとても難しいですが、

数を出すのはがんばればできます。

 

数が集まればキラリと光るものも出てきますし、

お互いのアイデアが相互作用によって

おもしろいアイデアになることもあります。

 

素晴らしいアイデアを思いつく才能がない自分は、

数でそれを補うしかないのです。

 

*さっき見返してみた

そんな方針の成果を確かめるべく、

さきほどからEvernoteに放り込んであった、会社で使えそうな

イデアを貯めてある「社内導入案件」という

ノートブックを見ていました。

 

割と現実的なものが多いのですが、中には

「GoogleHomeで娘のおむつ交換を記録する」

とかパワーアシストスーツとかもあって、

我ながらいろんなことを考えていたのだな、というのが正直な感想です。

傾向的には、タブレットやパソコンの導入、ロボット、

IoT関連が多いですね。半分仕事で半分趣味的な感じです。

 

*役に立つ?

残念ながら、まだ役に立ってません。

でも、取り込んだ当時は手が出せなかったけれども、

今ならばがんばれば手が出せそうなアイデアがいくつかありました。

次にこの話題に触れるときは

「役に立ちました!」

という報告ができるように、アイデアの実現にチャレンジしてみます。

 

ではでは。

 

 

 

とにかく書いてみた

*提案なのに提案は求められていない『カイゼン提案書制度』

多分、ある程度の規模の会社なら多かれ少なかれあると思いますが、

カイゼン提案書」と呼ばれる、

社内のカイゼンを提案する制度がうちの会社にもあります。

 

でも不思議な事に、「提案書」という名前なのに、

提案ではなく実際に行ったカイゼン活動の方が重視されます。

しかも、提出された他の人の提案は社員に公開されていません。

 

正直、これで何がカイゼンされるのか、理解に苦しむ制度です。

しかし、安いながらも一応報奨金が出るので毎月提案書は提出しています。

 

*毎月毎月すばらしい効率化なんてできるか!

以前部長とこの制度の話をしていたときに、

「まだまだ提案書のレベルが低くてなー」

とぼやいていました。

 

口にはしませんでしたが

『そりゃ上がらんだろう』

と思いました。

 

だって、求める提案書の具体例もないし、

評価欄には判を押したかのように

「効率化に効果があると思います。横展開してください」

としか書いていなくて、提案書のいいところ、悪いところ

提案書のレベルを上げるために気をつけることのコメントもありません。

 

これでレベルが上がったら詐欺でしょう。

 

*それでも書き続ける訳

それは、報奨金が欲しいから2つの理由があります。

1つは、アイデアを具体的な形にすることで、

自分のアイデアを客観視できることです。

 

イデアが頭の中にあるうちは、どんなアイデアも素晴らしく感じます。

しかし、他人に提案をするつもりでまとめて、コストや運用などを

検討し始めるといろいろな粗が見えてきます。

経験ありませんか? とても素晴らしいアイデアだと思って、

一晩寝て落ち着いてみると、その内容にガッカリしたこと。

 

そうやって提案書の形にまとめて、粗を埋めて行くことで

イデアは価値のある企画に進化していきます。

 

もう1つの理由は、「質より量」です。

聞くところによると、スナックや飲料の企画は年間で万の単位で

出るそうですが、商品化されるのはごくわずかで、

販売が打ち切られずに定番商品となるのはほんの一握りだそうです。

 

必ず成功できるアイデアの出し方を自分は知りません。

であれば、少しでも可能性があればどんどんアイデアを出さないと、

成功する可能性はどんどん低くなるのです。

 

そういう信念のもと、今日も「事務所へのルンバの導入」の提案書を

書く自分なのでした。

 

ではでは。

スルーする力(笑)

*言い訳はいたしません。

はい、また停滞してました。

 

*ダメ人間側に落ちて行く

振り返ってみてもダメ人間でした。

マンガを読んでTVを見て、延々とネットサーフィンを続けて、

気が付いたら寝る時間になってました。

 

『これが堕落していくということなのか…』

まるで人ごとのように自分の堕落ぶりを見てました

 

*今回のきっかけ

今までにもこういう堕落状態から一念発起して巻き返したこと が

ありました。

今回のきっかけは、自分が修行している少林寺拳法の納会で、

何年振りかで演武を披露することになったからです。

 

いい年ですし、相方のの拳士も経験が浅いので大したことは大したことは

出来ませんが、それでも少年部の拳士や保護者とか、

ほかの支部の拳士も来るので、いい加減なことはできません。

 

そう考えて自宅で練習を再開しました。

鬱状態を軽減する方法の一つに「体を動かすこと」がありますが、

おかげで何かをしようという気力が復活してきた気がします。

 

*とりあえず復活か?

双極性障害が、上がったり下がったりを繰り返す病気なのは

既に10年以上の経験からわかっています。

出来るときに出来ることをやっていきます。

 

ではでは。

勇気を持って開く

*また停滞してしまった…

母親が入院して家事を自分でやることになったら、

一気に時間がなくなりました。

間の悪いことに、いま会社は繁忙期の真っただ中で、

休日出勤が続いています。

 

おかげで、またブログの更新が停滞してしまいました。

世の中には、睡眠時間を削ってでもブログを更新する人が

いらっしゃるそうで、このくらいで停滞してしまう自分としては

赤面の至りです。

 

*自分を叱るのは自分だけ

一度停滞すると、再開するのは結構大変です。

 「今日は疲れたから明日やろう」

 「帰りが遅くなったのでまた明日更新する」

言い訳ならいくらでもできます。

 

言い訳無用で無理矢理ブログを更新させるような

カミナリ親父もいません。

全ては自分次第なんです。

 

愚痴めいた内容ない記事になりましたが、

どんな内容でもまず1記事書かないとズルズルと停滞が続きます。

些細なことであっても、まずは1つ目標を達成して、

次のもっと大きな目標に進みます。

 

ではでは。

 

 

環境ISOを軽んじてはいけないたった一つの理由

*割と軽んじられる環境ISO

うちの会社は品質ISO(ISO9001)と環境ISO(ISO14001)を

取得しています。しかし社内での力の入れ方は

 品質 > 環境

という感じです。

これはうちの会社だけでなく、中小企業ではその傾向が強いのではないでしょうか?

 

*環境ISOは目に見えるメリットが少ない

 環境ISOが軽んじられる理由としては、

『環境ISOを頑張っても利益に繋がらない』

ということが上げられると思います。

 

品質ISOは、ものづくりの会社であれば品質の向上(あるいは維持)の

仕組みですから、その維持管理に力を入れた分は

キチンと品質という目に見える形で成果が表れます。

 

しかし、環境ISOはそもそもの目的が「自然環境の悪化を防ぐ」

であり、「予防」が主眼になります。なので、力を入れても

その成果は目に見える形に現れません。

せいぜいで、「周辺環境に問題を起こさなかった」という

現状維持という成果くらいです。

 

更に言えば、お金や手間暇を掛けても製造する製品のQCD

(品質、コスト、納期)の改善には直接は繋がりません。

(むしろ、手間や手続きやコストが増えるので悪化する可能性すらある)

 

単純に経営や生産効率の観点から見れば、環境ISOは無駄な作業です。

(ああ、環境ISOの事務局やっているの言い切っちゃった…)

 

*ISOの規格を検討してる人達もそれをわかっている

環境ISOは 2015年に規格が更新されました。

自分も、うちの会社の規格の更新を任された記事を書いています。

 

denbedon.hatenablog.com

 

 

denbedon.hatenablog.com

 

 

denbedon.hatenablog.com

 

この規格の更新のポイントに

「環境への取り組みと経営を1つにすること」

「経営者の環境への取り組みの強化」

というものがあります。

 

簡単に言えば、

「環境への取り組みと、事業などの経営を別物にせず、

 事業として利益を挙げる取り組みに環境への取り組みを

 一体にして行うようにしなさい」

「経営者は部下に押し付けたりせず、自分の責任で

 環境への取り組みを進めなさい」

ということです。

 

新しい規格でわざわざこういう要求を追加したということは、

逆に言えば、

「環境対応をコストがかかる部門と割り切って、

 その部門だけで対応させる」

とか

「環境管理責任者に全てやらせて、

 経営者は全くタッチしない」

という対応をとるところが多かったわけであり、

また規格を作った人たちもそういう状況を把握していたわけです。

 

それくらい環境ISOは軽んじられているわけです。

 

*それでも環境ISOに力を入れざるを得ない理由

それは、品質ISOと違い、環境ISOの手を抜くと

法律違反になる可能性が非常に高いからです。

実際、環境ISOの規格の中には

順守義務

という章が存在していて、法律や条例などを順守していることを

確実にすることが求められています。

 

「品質問題」「法律問題」を比較すると、問題になった時のダメージの大きさでは

 

「法律問題」の方が圧倒的に大きいです。

法律違反は、企業の社会的な信用度へのダメージが致命傷になりかねません。

下手をすると、経営者の手が後ろに回ってしまいます。

 

環境保全」とか「自然に優しい」とかいろいろなキレイ事が出回っていますが、

環境ISOを推進する理由の一つとして、こんな「強制力」が存在しているのだと、

勝手に思っています。

 

ではでは。